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【解説】
この問題群は優しいのと難しいのが混在しています。まず本文にある、2つの曖昧性を解説します。
そもそもことばは、限られた音と限られた文法規則の差異だけで森羅万象を説明しようとするのですから、どうしても曖昧なところが生まれます。この「あいまい」というのは、解釈が複数あることです。
まず語彙的曖昧性 (lexical ambiguity) というのは、単語レベルで解釈が複数あるもののことです。
たとえば口頭で「いしは強い。」と聞いた場合、「医師・意思」はアクセントも同じ同音異義語ですから、文脈で判断できるとはいえ、話し手がどちらを意味しているのか判然としない可能性があります。
また「お酒に弱い。」という場合は「弱い」に、「飲むことができない、飲むと気持ち悪くなってしまう」(can't drink much) の意味と、「大好きで目がない」(irresistible) の意味がありますので、これも複数の解釈が考えられます。
次は構造的曖昧性 (structural ambiguity)です。構造というのは複数のものが関連しあってまとまりになっていることですね。ということは、
・単語が集まって複合語を構成した結果の「あいまいさ」
・単語が集まって文を構成した結果の「あいまいさ」
がこの曖昧性にあたります。多くは後者で、こちらは特に統語的曖昧性 (syntactic ambiguity) と呼びます。
たとえば「私が好きな人は田中さんだ。」という場合、私が田中さんを好きなのか、逆に田中さんが私を好きなのか、2つの解釈が可能ですね。文を構成する単語に曖昧さはなくとも、それらを並べて文にしたときに曖昧さが生じるので、これは構造的曖昧性があることになります。
では問題文を見てみましょう。
1で使われている「くらい」、2で使われている「ばかり」は、そもそも曖昧さを示す語なので、解釈は曖昧ではありません。別の言い方をすると「数量が曖昧であることがハッキリと示されて」います。これは漠然性に関わることで曖昧性とは関係ありません。
3は曖昧性も漠然性もない、普通に解釈できる文です。
正解となる4ですが「大学で財布を落としたのか」「大学でその話を聞いたのか」、複数の解釈が可能ですね。この場合、上の田中さんの文と同じで、構造的曖昧性を持つ文ということになります。
では上で出てきた漠然性 (fuzziness) ですが、曖昧性とは違い、言語を聞いた人が「なんだかハッキリしないなー」と感じること、ちょっと難しく書くと
・言語とそれを使う人間その関係から生じるわからなさ
と考えればいいでしょう。
例を2つ、挙げます。
まずさっきの問題のように、意味が曖昧な語を使った文は、漠然性を持ちます。「ぐらい、ばかり、ほど、ざっと、だいたい」なんていうのがその例ですね。
次に「大きい、おいしい、近くの」などと何を基準にそういっているのかわからない語がを使った文もまた、漠然性を持っています。
本当はもう一つ、不確実性 (vagueness)というのもありますが、混乱しちゃうので、今日はここで止めておきましょう☆おつかれさまでした。